尾内 史隆

Fumitaka Ouchi
  • 1974年3月15日生まれ
  • 岐阜市内3店舗を経験し、岐阜県岐阜市にて、美容室ラボをオープン
  • 肌や髪に優しいメニューにこだわり『美容と経営』に掲載
  • 肌に優しいシャンプーと出会い、元資生堂開発本部長とオリジナルシャンプーの開発
  • 肌に優しいサロンがお客様に、支持され今年で、16年目になります。

生い立ち

幼少期

0歳~6歳まで岐阜市内で暮らし、小学生の1~3年は祖父のやっていた牧場を父が手伝う事になり飛騨の山之村『地図にない村』で過ごすことになります。

まさに、NHK 朝ドラ『アオゾラ』そのままの生活でした。

冬には3~4メートル雪が積もる山の中だったので、雪が降るといまだにワクワクします。

趣味の一つであるスキーを覚えたのもこのころでした。

小~中学生

小学生4年になるころには、また岐阜市内に引っ越してきましたので中学生の終わりまで約6年間は『キャプテン翼』に憧れるサッカー少年でした。

『釣りキチ三平』という漫画も大好きで、暇があれば近所の川で魚釣りをし自転車で往復6 時間かけて海津郡までブラックバスを釣りに行ったこともありました。

良くも悪くもこの頃から行動力だけはあったように思います。

高校生

勉強が苦手だったこともあり、市立岐阜商業に入学。

サッカー部がなかったので、ゴールの形が似ているというだけの理由でハンドボール部に入部しました。

スグに分かったことですが県内屈指の強豪校で、毎日帰宅は9 時過ぎがほとんど。

結果2年生の夏には退部してしまいましたが、その当時の監督が立ち上げられたハンドボールクラブにウチの娘と息子がお世話になっております。

美容学校~大型サロンへ


高校卒業後は、母親が美容師をしていたこともあり、名古屋の美容学校に入学。

卒業後、岐阜市内の大型サロンに就職し、スタイリストデビューまでフランス人の女性スタイリストのアシスタントをさせて頂き沢山のことを学びました。( フランス語以外)。

この頃は、手荒れとは全くの無縁、毎日素手でカラーやパーマをしていました。

自分探しの旅~独立~手荒れ


その後、実家の美容室を手伝いながら、1 人でフランスに行ったりもしました。
今思うと奇跡なのですが、アポなしでアシスタント時代お世話になったフランス人スタイリストとの再会も果たします( いきなり訪ねたのでちょっと怒られました)。

少し美容から離れた時期もあったのですが『やっぱり美容師は楽しいな 』って再確認するとともに、独立したいという気持ちも大きくなってきました。

帰国後、岐阜市茜部のサロンで3年ほどお世話になり2007年についに、岐阜市茜部に店をオープン。
茜部で5年、自宅兼サロンとして西川手にオープンして11年、独立後1800人ほどのお客様を担当させて頂きました。

独立当初は、とにかくかっこいい空間でかっこいいヘアスタイルをやっていけば大丈夫!!という思いを胸にお客様を相手にしておりました。
しかし、ある時『あなたの店のコンセプトは?』と聞かれお答えすることが出来ませんでした。(この頃から手荒れが酷くなって来ました)

自身の手荒れをきっかけに、一から毛髪理論や薬剤の知識を見直すことで、『頭皮と髪に優しいアトピー特化サロン』が誕生し、オリジナルシャンプーを開発するまでに至りました。